初めまして。田平由布子と申します。
長崎生まれ長崎育ち、カステラとちゃんぽんをこよなく愛しています。
大学3年生で核問題に関心を抱き、核や国際情勢の勉強、平和活動をするように。
25歳のときに、長崎原爆の被爆者から体験を継承する「語り部活動」を始めました。
今は仕事と両立しながら、全国各地の学校などで語り部として平和教育を実践中です。
私たちが生きる世界は、今
私は大学時代からずっと「どうしたら平和を実現できるか?」を模索中です。
現在はウクライナ危機をはじめとする地域や国の紛争、気候変動、経済格差など様々な地球規模の問題があります。
だからこそ平和教育は大切かと思いますが、一つ問題があります。それは「平和教育は、マンネリになりがち」ということです。
- 生徒が主体的になる平和教育とは?
- 平和教育は、なんか生徒の反応がイマイチ
- 毎年同じような平和教育をやっている…
こんな悩みをお持ちの先生に、私は何度もお会いしてきました。
今いる場所で、できることを!
さて。あなたは「平和」と聞いて、どのようなことを思い浮かべますか?
おいしい給食が食べられること!(小6・男子)
一人ひとりが身近な人を幸せにすること(中3・女子)
他者を尊重し、問題を争いではなく話し合いで解決できること(高校生)
バリエーションのある答えが返ってきますね。人によって「平和」はそれぞれ。
私は、平和の実現は人任せにするのではなく、一人一ひとりが今いる場所で、今日からできることをやっていくことが大切だと伝えています。
平和教育に無関心だった私
ところで、私はもともと平和や核問題には無関心だったのです。
私は長崎で、小中高と平和教育を受けてきました。8月9日の原爆忌は登校日。平和を願う歌を歌い、11時02分には黙祷をし…それくらいしか記憶がありません。
先生が言うことは「戦争はダメ」「みんな仲良く」ばかり。なぜそれが大事かを考えたことはないような…
そのまま大人になり、平和活動をするようになってから気づきました。
「毎年同じような平和学習だったから、つまらなかったのではないか」と。
例えば好きな授業や苦手だった給食のメニューは今でも覚えていませんか?
でもインパクトがなく、無関心だったことは忘れているはず。私にとっての平和教育は、正直そんな感じだったと思うのです。
この経験から、私は平和教育を新鮮で考えさせられるものにしようと決めました。
より良い平和教育とは?
平和教育は、予定調和&思考停止になりがちだと考えています。
ですがそんな平和教育だと、私のように大人になったら完全に忘れられてしまいます。それはすごく悲しいことではないでしょうか。
- 周りの人を大切に、仲良くしてほしい
- 人の心の痛みが分かる大人になってほしい
- 一人ひとりが平和な世界を創る主体者だと伝えたい
もし、先生がそう思っていらっしゃるのなら、様々な視点を取り入れた「真の」対話型・探求型の平和教育でしか実現できないとお伝えしたいのです。
私の平和教育はこんな形です
私が大切にしていることは、聴き手と同じ目線に立ち、対話をとおして一緒に考えていくことです。
「いつも聴くような話だろ」と思われがちな平和教育。
だからこそ、私自身も平和教育に関心がなかったことを話し、核兵器に絡む国際情勢も取り入れて、単なる被爆者の話で終わらない工夫をしています。
話に私の見方も含めることで、講話に客観性を持たせつつ、新鮮で考えさせられるような平和教育を提供しています。
私の平和教育は基本的に、先生・生徒・私が一緒になって作り上げるプログラムです。そのため、先生のご希望をお聴きしながら様々な形の平和教育を実施してきました。
「でも、学校にはあまりお金がないから、わざわざ長崎から呼べない…」と思っていらっしゃる先生。
ご安心ください。ご負担なしでご依頼いただけます。
- 児童生徒の心に、ずっと残り続ける平和教育をしたい
- 人の心の痛みが分かり、社会に関心を持てる若者を育てたい
- 生徒には主体的に平和教育に取り組んでほしい
そうお思いでしたら、ぜひ私と一緒に平和教育を創りませんか?